そもそも昔話って何?他の話とどこが違うの?という疑問を、少しだけこの記事で解き明かしていこうと思います。そして私がなぜ昔話を好きなのか、その理由も最後に書きました。
本や映像で昔話に触れるのが、現代では普通になっています。他の方法は簡単に思いつかないんじゃないでしょうか。私もそうでした。
しかし本来の昔話は、祖父母が囲炉裏端で孫に語って聞かせた話でした。
昔話を聞いて育った孫たちは、自分が祖父母になったときに、同じように孫たちに語って聞かせる。子ども時代に毎日聞いていたお話だから、ちゃんとおぼえている。
祖父母から孫たちへ、こうして長い間、語り継がれてきたのが昔話です。
昔話は、空想好きにはたまらなく面白い
昔話は少々独特な形をしています。主な特徴をあげてみます。
- 昔々あるところに・めでたしめでたし、といった決まり文句で始まって終わる
- 同じ出来事がよく繰り返される
- 出来事だけを順番に淡々と語り、ストーリーに無関係なことは言わない
では、昔話はなぜこのような形をしているのか。とくに3番目に関しては、昔話は「語られて、耳で聞かれる」ものだからです。
「大事なことだけ言う」の効果
「出来事だけを順番に淡々と語り、ストーリーに無関係なことは言わない」。つまり、大事なことだけ言うということですね。なぜこのような特徴ができたのかを考えてみます。
耳で聞くということは、目で本を読むよりも圧倒的に情報量が少ないです。しかも、聞き逃したらその部分は本のように戻って聞き直すことはできません。途中で筋がわからなくなったらもうおしまいです。
語る人は、わかりやすいように余計なことは言いません。大事なことだけを言い、聞き手の注意がそれないように、どんどんストーリーを進めていきます。
「お姫様はこの世で一番美しいひとでした。国中の若者はみな、お姫様と結婚したいと思いました。 」
どんなふうに美しかったかは説明していません。容姿を説明しているとストーリーが進まないから、ストーリーに関係があることだけを語るんですね。
容姿が説明されないので、この部分は聞き手の想像に委ねられることになります。他にも細かいことは一切描写されないので、聞き手の心のなかで、聞き手の想像力が物語をつくっていくということになります。
語り手の言葉を受けて、自分の想像の中で物語がどんどん進んでいく。想像や空想が大好きな子どもにとっては面白くて仕方がないことだと思います。
思い描いた場面が心に残る
昔話は不思議な話がたくさんあるので、ときに想像で補いきれない場面に出くわすことがあります。
「踊ってすり切れた靴」という昔話の一場面。正確な文章は思い出せませんが、こんな場面でした。
真夜中に、一番年上のお姫様が床をドンと踏むと、寝台はドオオオオンと大きな音を立てて床に沈んでゆき、そのあとに落とし戸が開き、階段が現れました。その階段をお姫様たちは次々に降りていきました。
子どものときに本で読みました。この場面を想像するのが難しくて、床と寝台と落とし戸の関係がわからないまま、不思議だと強く思う気持ちとともにこの場面は私の記憶に残りました。私はこの場面に心を奪われていました。
この記憶は大人になって体調を崩した私の心を救ってくれました。不調で落ち込んでいたときに突如よみがえったのがこの場面の記憶だったのです。私はよみがえった記憶に心を奪われ、しばらくの間不調を忘れてしまっていました。
昔話がくれる想像の物語は、これほど心に強く残ることもあるのです。
昔話は想像しやすい物語・具体例
昔話は大事なことだけを語り、余計な情報がないので、聞き手が想像力を働かせやすい物語であるといえます。昔話と小説の実際の文章を比べてみます。
グリム童話は、グリム兄弟が当時語られていた昔話を採取して本にまとめたものです。グリム童話は昔話です。少々手が加えられていますが、昔話の形は大切に残されています。
アンデルセン童話は、アンデルセンという作家が書いた創作の物語です。アンデルセン童話は創作です。書かれたものを目で読む物語です。
グリム童話とアンデルセン童話の比較
グリム童話「白雪姫」の冒頭部分を、青空文庫から引用します。
むかしむかし、冬のさなかのことでした。雪が、鳥の羽のように、ヒラヒラと天からふっていましたときに、ひとりの女王さまが、こくたんのわくのはまった窓のところにすわって、ぬいものをしておいでになりました。女王さまは、ぬいものをしながら、雪をながめておいでになりましたが、チクリとゆびを針でおさしになりました。すると、雪のつもった中に、ポタポタポタと三滴の血がおちました。まっ白い雪の中で、そのまっ赤な血の色が、たいへんきれいに見えたものですから、女王さまはひとりで、こんなことをお考えになりました。
青空文庫 白雪姫 グリム 菊池寛訳
わずかに、ストーリー展開には不要かもしれないと思える描写がありますが(鳥の羽のように、ひらひらと……の部分)、ほかはストーリーのために必要な事だけが述べられています。
誰がいて、何が起きたのかということだけが、淡々と説明されています。余計な情報がないので想像が邪魔されず、聞き手がストーリーを追っていくことができます。
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次に、アンデルセン童話「人魚の姫」の冒頭部分を、青空文庫から引用します。
海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、いちばん美しいヤグルマソウの花びらのようにまっさおになり、きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。けれども、そのあたりは、とてもとても深いので、どんなに長いいかり綱をおろしても、底まで届くようなことはありません。海の底から、水の面まで届くためには、教会の塔を、いくつもいくつも、積みかさねなければならないでしょう。そういう深いところに、人魚たちは住んでいるのです。
青空文庫 人魚の姫 ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳
なかなかストーリーが進んでいきません。美しい世界観のイメージを重ねるために、ストーリーに関係ないヤグルマソウの花びらやガラスやいかり綱や教会の塔が出てきます。
耳で聞いていると、きっと混乱してしまうでしょう。目で読むからこそ、この美しい言葉の効果が出るのだと思います。
もちろんこの文面からも美しい想像が読者の中に生まれますが、想像してほしいイメージは作者であるアンデルセンによって詳細に説明がなされています。
グリム童話と小説「走れメロス」を比較
グリム童話「こわいことを知りたくて旅にでかけた男の話」の冒頭部分を、青空文庫から引用します。
あるおとうさんが、ふたりのむすこをもっていました。にいさんのほうはりこうで、頭がよくて、なんでもじょうずにやってのけました。ところが、弟のほうときたら、まぬけで、なんにもわからないし、なにひとつおぼえることもできないというありさまでした。ですから、弟の顔を見るたびに、だれもかれもこういうのでした。
青空文庫 こわいことを知りたくて旅にでかけた男の話 グリム Grimm 矢崎源九郎訳
「こういうむすこがいたんじゃ、おやじさんはいつまでたってもたいへんだなあ!」
二人の息子の性質が説明されていますが、これはストーリーに関係があることだからです。
そして、昔話は出来事を順番に語っていきます。父親に息子があって、その息子のうち兄はりこうで、弟はまぬけで……と、順番に説明されます。
順番に語ってくれることで、聞き手もストーリーを追いやすくなります。
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次に、太宰治「走れメロス」の冒頭部分を、青空文庫から引用します。
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。
青空文庫 走れメロス 太宰治
小説は書かれたものなので、少し戻って読み返すなど、文面を行ったり来たりすることができます。必ずしも順番に出来事を説明する必要はないので、小説の書き出しは読者を一瞬で引き込むことに重点が置かれます。
小説の最初の文章は、その後を読みたいと思わせるために非常に大切です。
朗読として聴くのならすばらしい作品だけれど、順を追っていないので、語るとしたらわかりにくいかな、と思います。
まとめ
昔話は聞き手が想像で物語を進めていく話だということを、この記事でまとめてみました。
昔話も小説も、映像の情報ではないので、聞き手や読み手それぞれがみんな自分のイメージで物語を作っていると思います。その中でも昔話は聞き手のイメージに物語を委ねる割合が大きいのです。
私はどうしてあんなに昔話が好きなのか。それも当然、私の記憶の中の昔話の場面はみな自分が好きなように想像したものだったからです。完全に自分の世界です。非現実的で不思議な独特の世界、ストーリーもたいへん魅力的でした。
その場面が心に強く残り、のちに私にとって昔話は大切なものなんだと思うきっかけになりました。昔話は私の元気のもとなのだと思っています。
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