私が『昔話は作りやすい形をしているのかもしれない』と思ったことはすでに前ページで書きました。その理由は二つあります。
「私にも作れているのだから」というのが理由の一つですが、なぜ私にも作れているのかという詳細は後に詳しく書くことにします。
もうひとつの理由は「もしかしたら昔話の語り手たちも『お話作り』をしてきたのではないかな」と思ったからです。
昔話はもともとは、語り手が自分で覚えているお話を声を出して喋って聞かせて「お話をして」いたのです。自分が子供のときに聞いて覚えたお話を、今度は自分が小さな子どもたちに話して聞かせます。昔話はこうして長い間語り継がれてきたものです。
一人の作家が紙に書きつけた作品ではなく、ましてやそれを一字一句正確に読んで聞かせていたものでもありません。
だから語り手によっては、その口で話をするたびに「少し面白く変えてやろう」とか「ここはいつもしっくりしない気がするから端折ってしまおう」とか、あるいは聞き手に合わせて「あの子の好きな別の話のエピソードをくっつけちゃおう」とか、そんな事がきっとあったはずだと私は思っています。
そして、昔話というもの自体もそれを許してくれるかたちを持ったお話なのではないかな、と思うのです。
「語られるための形」は頑固に保持されつつも、その内容は語られる土地や時代や、あるいは小さな環境によって容易に変化が可能なのだと思うのです。
「素人の作り手にとって作りやすい」形を昔話は持っているのだと、素人である私は強く感じています。
※このカテゴリをいずれ電子書籍にまとめようと思っています。「本」「ページ」という表現があるのはそのためです。
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昔話の特徴などについては、別サイトの「昔話の様式ってこんな感じ」、「文献を自分なりに解釈してみた」にも書いています。
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