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孤立性(どんなことでもお話にできる便利さ)

 昔話の特徴に「孤立性」といわれるものがあります。登場人物はまわりの環境から孤立している、エピソードのそれぞれはカプセルに入ったように孤立している。ちょっとわかりにくいですね。

 登場人物がまわりの環境から孤立しているというのは、現実世界なら一人で勝手に行動できないような身分の人でも一人でどこにでも行ってしまうし、誰とでも接触できる、というようなことです。昔話では『筋が必要とするなら誰が誰と接触する事も可能』なのです。
 リアルな物語なら理由づけに苦労しそうなところですが、その理由づけが必要ないのです。

 エピソードのそれぞれがカプセルに入ったように孤立しているということを、「同じ家に住む三人兄弟がそれぞれ同じ課題を受けに行く」という事柄で見てみます。
 【…まず一人目がその場所に出かけて行って失敗して帰宅する。次に二人目が出かけて行って、一人目と全く同じように失敗して帰宅する。最後に三人目が出かけて行って、今度は成功する。…】昔話のたいていはこんなふうに話が進みます。
 このような話を聞くと普通は違和感を感じると思います。「この三人兄弟は同じ家に住んでいるのに話もしなかったのかしら、それとも話を聞いても何も学習できない人なの?」と。リアルな物語だったらありえない不自然な展開です。
 でも昔話の場合は、一人目のエピソードも、二人目のエピソードも、三人目のエピソードも、それぞれがカプセルに入った孤立したものとして扱われています。これは昔話の『語られるための形』によるもので、
 心理的な無理は承知の上
 (※マックス・リューティ著『昔話の本質と解釈』福音館書店)
なのだそうです。

 例をもうひとつ、いばら姫というグリム童話から。【…いばら姫は十五歳のときに仙女の呪いで百年の眠りにつきます。そして百年が過ぎたその瞬間に、訪れた王子の口づけとともに眠りからさめます。王子はいばら姫に求婚し、すぐに二人の結婚式が行われました…】
 素敵なお話なのでそのまま受け入れてしまいそうです。事実私は大人になるまで疑問に思った事がありませんでした。
 しかし考えてみれば、いばら姫は百年間眠っていたのですから、目がさめたときには百十五歳のお婆さんになっているはずです。しかも百年間寝たきりだったら筋力が衰えて動けなくなっているのが普通です。しかしそうではありません。
 『眠っていた百年間はカプセルに入った孤立したエピソード』なのです。やがて迎えるはずの美しいラストに対して、どんな些細なマイナスも及ぼさないのです。これは作る立場として『美しく終わらせるため』にとても便利な事だと思うのです。

 素人が即興で考えた面白いエピソードを語り、それを聞き手が受け入れてくれて、そのお話が成立する。こんな事も孤立性を成り立たせている一因じゃないかな、と思います。

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