【おにぎりみたいなお話作り】美人の容姿を説明しない理由

昔話は詳しい描写をしない、というのが特徴です。それどころか、わりと決まりきった言葉を使います。誰でもわかる簡単な言葉です。
これはどんな描写よりも聞き手のイメージを助ける事になるのだと思います。簡単な言葉で述べられれば、それぞれが自由にイメージすることができます。

ここで美人を引き合いに出す事はもう他所でされつくしていますが、結局のところこれが一番わかりやすそうなので、私も美人に助けを借りる事にします。

もしあなたの耳に「昔々あるところに、たいへん美しい王女がいました」という言葉が聞こえたら、どんな王女があなたの心に思い浮かぶでしょうか。あるいは、具体的に姿形が思い浮かぶでしょうか。
私の場合ははっきり容姿は見えていません。しかしここで詳しい描写が欲しいとも思いません。『はっきり見えていないことで、王女はより美しく感じられている』からです。
では、もし容姿をはっきり思い浮かべた場合。思い浮かべた人全部が同じ姿の美女を心に見ているでしょうか? そんなわけがありません。
もしここに美女の美しさが具体的に描写されるとすれば、それは「作家が見ている美女」の容姿であるか、または「語り手が見ている美女」であるか、とにかく誰か一人の心にしかない美女の姿です。それを、聞き手が皆同じように美女だと感じるかどうか?

美しさを描写するのは非常に楽しい作業です。しかし聞き手のイメージにお話を任せているような場合、つまりこの場ではそれは控えるべきだと思います。
美しいという言葉の中身は主観的なものですから、それこそまさに聞き手に任せておくべきです。聞き手の見ている場面を、自分の見ている場面と同じように大切に扱わなくてはなりません。

「美しい」に限らず、主観的な言葉に対して作家や語り手のイメージを押しつけるのは、聞き手のイメージを壊してしまう事になりかねないと思います。

2013.6.14追記

昔話の特徴などについては、別サイトの「昔話の様式ってこんな感じ」、「文献を自分なりに解釈してみた」にも書いています。

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この記事を書いた人
たまに、加賀 一
そだ ひさこ

子ども時代はもちろん、大人になっても昔話好き。
不調で落ち込んでいた30代のある日。記憶の底から突如、子ども時代に読んだ昔話の場面がよみがえる。その不思議さに心を奪われて、一瞬不調であることを忘れた。自分は昔話で元気が出るんだと気づいた。

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