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語りの単純さ

 昔話には語り方にも特徴があります。昔話は、『見えている出来事を描写するだけ』です。心理描写や情景描写はほとんどありません。

 単純な語りは、作る立場からしてみると当然のように感じます。個人の特定をしていない、性格形成の背景なども決めていないのですから、詳細な心理描写をすることは道理に合わないように思えます。というよりも、必然的にそれはできないことだと思います。
 情景描写についても、同様の理由が考えられます。

 そして、単純な語りは、聞き手を迷わせることがありません。
 話の始めに「片付けなければならないこと」が示されたのに、もしもその話の途中で語りが本筋からはずれて、訪れた町の様子や登場人物の心の内面が事細かに時間をかけて説明され始めたら? 「この話はどこへ向かうのか」という不安を聞き手が抱くかもしれません。あるいは、話が先へ進まないことで飽きる人が出てくるかもしれません。
 余計な道草がなければ、聞き手は話の筋に心を集中していられます。

 また「見えている出来事を描写するだけ」の「見えている」とは、私の場合はこんなふうです。
 何か言葉を聞いたとき、たとえば「タンポポの花が咲いていました」と聞こえたとき、私にはその「タンポポの花が咲いている」様子が思い浮かびます。
 はっきりと具体的にではありませんが、道の両脇の緑と、その中に小さな黄色い花がたくさん咲いている様子がぼんやりと心に浮かびます。
 この、心に浮かんでいる場面が「見えている出来事」です。
 本を読みながら、話を聞きながら、唄を聴きながら、言葉を受けてなにかしらの場面が心に浮かぶことは、誰でも経験があると思います。
 私がお話を作ろうとするときも、つねに心の中で場面が動いて行きます。言葉に書くときには、その「心の中に見えている出来事」を描写します。

 しかしこのとき私の心の中には「隅々まではっきりとした具体的で詳細な映像」が流れているわけではありません。必要なものだけが見えていて周りには何もなかったり、あるいは人物の顔を思い浮かべていなかったりします。筋に関係のないことはあまり見えてはいません。
 これはリアルな設定をしていない事が大きな理由ですが、それらがなくても話の筋には何の影響もありません。

 場面を見るのは作り手だけではありません。聞き手(読み手)も言葉を受けて場面を見ているし、語り手も場面を見ながらお話を語ります。
 具体的な設定など詳細は何もありませんから、その場面は、聞き手や語り手によってさまざまなものになります。でもそれでいいのです。
 聞き手が自分のイメージでお話の世界を味わえる、というのも昔話の魅力なのです。

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