自分用に「昔話のようなお話」の作り方(?)をまとめているところなのですが、その内容をちょこっとずつ。(ようするに日記に書けるようなネタがないのでありました)
自分用なのに他人に向けて書いているみたいな文章ですが、それは電子出版をもくろんでいるせいです。わはは。汗
昔話は、語り手が聞き手に話して聞かせた、口承の物語です。耳で聞く、人の声で聞くというのは歌に似ているのだと思います。
昔話には独特の様式があって、それは印刷された物語として見ると少し変わった特徴に見えます。でもそれはきっと、歌の歌詞を印刷された文字で読むのと、歌として聴くのではまったく印象が違う、といったようなものだと私は思っています。
その独特の様式は、いったん誰かによって昔話らしからぬ手が加えられ印刷されたとしても、ふたたび語り手聞き手のところにおりてくると、自然にその独特の様式を取り戻すのだそうです。グリムのラプンツェルというお話は「王子は絶望のあまり塔からとびおりる」のですが、これに由来している別のお話のこの箇所は「彼女(魔女)は、それが王子であることがわかると彼を下へ放り投げました」「彼女は彼の目をくり抜き、かれを下へ放り投げました」というふうに語られているそうです。
…民衆のあいだで物語が口頭伝承されるときには昔話の様式の自己修正作用があるということができる。グリムのラプンツェル昔話の、聞き手の期待にうまく適応しないおわりの部分―それはじつは十七世紀後半のフランスの宮廷につかえたある婦人のファンタジーから生まれたものなのだが―そんな部分は記憶のなかではすぐに崩れてしまい、あるいはしぼんでしまったり徹底的に変形されてしまったりする。…昔話その美学と人間像より引用
昔話その美学と人間像
きっと「聞きやすい、語りやすい物語」として自然にそう感じる公式的な様式があって、語り手や聞き手が無意識のうちにそのように形を整えてしまうのではないかな、と思います。昔話は不自然な形なのではなく、自然な形なのだと思います。
そして、そのお話を聞くことに対して心の満足があったからこそ、長い間語り継がれてきたのです。
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2021.12 追記
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