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捜し物(二)

 「あの客はまったく迷惑な奴だったわ。だけど、お土産のお菓子があんまり美味しかったから、お菓子のこともあのお客のことも忘れられないのよ、悔しいけど。」
 こんなセリフに例えるのが想像しやすいかもしれません。

 三十三歳のとき私は体調を崩し、奇妙な腹痛を経験することになりました。それは普通の生理痛とは明らかに違いました。
 歩行や座るなどのわずかな腹部の振動でも腸に痛みを感じ、お手洗いでは跳び上がるほどの激痛がありました。悪夢のようでした。その期間はじっと横になって一分一秒が過ぎてゆくのを待つしかありませんでした。

 私は自分の病名を勝手に推測していました。そして横になりながら、半分死んだような気持ちで、居間の家族を見ていました。この痛みがこの先ずっと続いたら、生きていることが痛みを我慢することとイコールになってしまうのは目に見えていました。痛みを我慢するために生きているなんて、意味のない人生に思えました。
 そして、ふと、違うところへ気持ちが飛びました。私の推測していた病名は決して珍しい病気ではなく、患者さんは沢山います。その沢山の人たちは皆、毎月の激痛をこらえながら今までもこれからも生活するのです。その人たちは痛みを我慢しながら何を思うのだろう?
 もしかしたら皆は本当は痛みや吐き気や何かを必死にこらえる時間を持っているけれど、それを見せたりすることなどせずに懸命に生きているのではないか?
 そうだとしたら、皆は何を心の支えにして生きて行こうとしているのだろう。大事な家族はもちろんだけど…では、他には? 痛みを少しでも忘れさせてくれるものは何? 元気のもとは何だろう? 私の場合はそれは何?

 意外なことに私の答えはすっと浮かびました。それは子供の頃に親しんでいた童話や昔話でした。正確には、ある一編の綺麗で不思議なお話でした。懐かしい心地よさが、私の痛みを一瞬の間どこかへ消してくれました。
 そのとき私は思いました。「今感じているこの気持ちで充分に事は足りている、捜し物はもうおしまいでいい」と。
 思い浮かんだお話は「やぶれたおどりぐつ」でした。十二人のお姫さまが真夜中になると寝台を床に深く沈め、そこにあらわれた階段を降りて別の国へ行き、その国の舞踏会で靴が破れるほど踊って戻ってくる。朝になると娘達の靴がぼろぼろになっているので、王さまは不審に思い探りを入れる…といった筋書きでした。
 不思議なエピソードばかりだったので、当時、盛んに想像力を駆使してお話を味わいました。その想像したイメージがまだ心に残っていて、今また懐かしくよみがえってきたのです。この心地よさがあれば、生きる元気を出すことができる。そう確信しました。

 この数日後、病院で検査を受けたのですがどういうわけか異常は見つからず、痛みのほうも「もう用事が済んだ」とでも言うように消えてしまいました。お土産に、捜していた不思議なお菓子を残して…。

コメント

  1. のこ より:

    病気なんかできれば罹らないに越したことはないけれど でも経験した痛みや苦しみで自分が成長したり変化したりできる究極のチャンスでもあるような気がします
    各いう私も 実はもう11年間365日 12時間おきに鎮痛剤を服用して暮らしています
    苦しみも大きいど 得たものもかなりありました。
    私も「捜し物」はもうしていないかな(笑)

  2. 久子 より:

    のこさん、人知れず痛みを我慢しているひとがこんなに近くにいたのですね。どうかご自愛ください。
    本当、病気のたびにひとつ拾い物をするというような感じがします。
    私のこれは幸運なことにどこかへ行ってしまったけど、今でも思い出すとビクビクします。お手洗いで気を引き締める事が何度もあった(笑
    ああ、頑張らねば!