人生で初めて、昔話の語りを生で聞いた。上手な語りは想像以上に面白い。

昨日、「大人のためのおはなし会」に行ってきました。

じつはその前日に映画を見たのですが、その映画の冒頭で、(今から50年くらい前の設定と思われる)囲炉裏端で昔話を語るおばあさんと、それを聞く3人の子どもたちの場面がありました。たとえ俳優さんの演技ではあっても「囲炉裏端の語り」を見ることができて、ああ、こんなふうに、意外に普通な感じに語りってされていたのかな、って感じました。

子どもたちは「お話を聞く」モードにならなきゃいけないけど(途中で話しかけたりしないでじっと聞くっていう)、語り手のおばあさんは普通に、身振り手振りを交えて、お話をおもしろく話してあげているっていう印象を受けました。
話の上手なおばあさんが話を聞かせていて、たんに話の内容が「昔話」だというだけのことに思えました。「お話を語る」ということに、どうしていいかわからないような非日常感は感じませんでした。

明日のおはなし会でも、こんな語りが聞けるんだろうか。そんな期待をしたり、いやそれはないだろうと思い直したりしながら…

いよいよ、語りを聞く

そして翌日、本番(?)。

電気を消してろうそく1本の明かりだけの部屋で、6人の語り手さんが、1話ずつお話を語ってくださいました。どうやら、声だけでお話を楽しむっていう趣旨のようです。聞き手は大人(ほとんどご年配の女性)30人。

この語りは、本に載っているお話を語るものなので(プログラムに出典が書いてありました)、1番目のお話を聞いている時の印象は、「本のない朗読」のように感じました。時々次の言葉を忘れて少し間があいたり、間違えて言い直したりということもあって、心底聞き入るというよりも、半分くらいは「がんばって」という気持ちで聞きました。

その後のいくつかのお話のなかで、いいなと思ったのは、歌が繰り返されたり、馬の走る「タカタッ タカタッ タカタッ」という音が繰り返されたりということを、実際に音で(声で)聞いたこと。自分で目で読んでいるときには絶対に感じられない心地よい感覚でした。リアルな時間に乗った人の声でお話を楽しむのと、自分で目で読んでいるのとは、想像以上の違いがあると感じました。だけどこの違いを感じられるのは、歌や音や場面など、同じ言葉の繰り返しがふんだんに使われているお話だと思います。昔話らしい文体というか、語りに向いている文体というか。

そして、最後のお話は「ちっちゃなゴキブリのべっぴんさん」というお話でした。このお話の語り手さんはとても上手だったのですが、はじめはそれに気が付かなくて(笑)。語り始めの、「むかし、むかしの、…」からしばらくのあいだのイントネーションがすごく独特だったので、どこかの方言なんだろうかと思って気になったのですが、いつのまにか独特さが消えて、聞き慣れたイントネーションになっていました。気が付かなかったのはそんなわけで。
上手だと思った理由は、純粋に、聞いてて面白かったんです。言葉を思い出しながら話しているという感じがなくて、ご自身も言葉のひとつひとつを楽しそうに話していたので、安心して聞いていられました。間とか抑揚とか絶妙というか。こんなことを言っていいのかどうかわからないけど、「静かな」落語や漫才を聞いているような(?)感覚になりかかりました。早口になったり騒いだりはしないけれど、何か近いものがあるような。

お話自体も面白かったので、出典の本を持っていたので帰宅後に開いてみたんですが、目で読んでもなんだかあの面白さが感じられなくて、語りの力って私が思っている以上に大きいのかなと感じました。こんな語りを聞かせてくれた語り手さんに感謝です。人生初のおはなし会、行ってよかったです。

私はずっと、本当は現実にこんなことはないと思っていたらしい

考えてみると、「人が話(物語)をするのをしばらくの間じっと聞いている」というような状況は、普段ほぼ皆無な気がします。あるとしたら、学校の授業で先生が面白い話を始めるとか…結末知りたさに生徒がじっと聞いているみたいな。他には思いつかないです(私の経験では)。人によっては、幼少期にまわりにいる大人の誰かがお話をしてくれたという経験があるかもしれませんが。

あとはやっぱり落語とか…日常と離れたところで「人がお話をする」のをあえて聞いたりということでしか。だから、昔の囲炉裏端と違って現代では人から昔話を聞く経験ってちょっと特別なことなのは仕方がない、当たり前のことなのかもしれない、と感じました。

ゆえに、語りを生で聞くことに一度も経験がないと、先日までの私のように「どうしていいかわからないような非日常感」を持ってしまうのだと思います。いや、私独特の感覚なだけかもしれませんが…。
一度、自分と同じ空間にいる人が語るのを聞いてみると、「どうしていいかわからないような」という部分は消えると思います(笑)。少なくとも私は消えました。

ネットラジオとか、書籍に付録でついていた音声資料とか、語りを「音だけ」で聞いたことは何度もあったのですが、それでも「どうしていいかわからないような」感覚はずっと消えなかったんですよね。でも「現実に、目の前にいる人が語るのを聞く」ということを経験すると、「ああ、実際にこういうことってあるんだ」っていうふうな納得がいくというか…。

なんでしょうね。ずっと、現実にあることなんだって思えなかったんでしょうね、私。今やっとわかりました。(笑)

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この記事を書いた人
たまに、加賀 一
そだ ひさこ

子ども時代はもちろん、大人になっても昔話好き。
不調で落ち込んでいた30代のある日。記憶の底から突如、子ども時代に読んだ昔話の場面がよみがえる。その不思議さに心を奪われて、一瞬不調であることを忘れた。自分は昔話で元気が出るんだと気づいた。

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