美しい声の娘と、その母親の話
昔々あるところに、若い娘がおりました。娘は大変美しい声の持ち主でした。そして、素晴らしく上手に歌を歌う事ができました。人々は皆、娘の話す声を聞いてうっとりし、娘の美しい歌を聴いて幸せな気持ちになりました。
ところが娘の母親は、娘の声をよく思っていませんでした。母親はたいそう美人でしたが、その声はまるで地響きのように醜く恐ろしいものでした。人々は皆、母親の声を聞くと驚いて逃げ出してしまいます。ですから母親は、娘の美しい声が憎くて憎くて夜も眠れないほどでした。
あるとき、母親はこう思いました。
「そうだ、あの子にうんと辛い唐辛子をたっぷり食べさせてやろう。そうすればきっと咽が熱く焼けてしまって、声が出なくなるに違いない」
そしてその日の夜、母親はいつものように娘と二人で夕御飯を食べました。母親は娘に、新しいお料理だと嘘をついて、山ほどの唐辛子を食べさせました。娘はあまりの辛さに大汗を流し、顔を真っ青にして、ばったりと倒れてしまいました。しかし、翌朝目をさました娘の咽は焼けてはおらず、その歌声は美しいままでした。母親はがっかりして、泣きながら三日三晩をすごしました。
あるとき、母親はこう思いました。
「そうだ、あの子にうんと強いお酒をたっぷり飲ませてやろう。そうすればきっと咽が熱く焼けてしまって、声が出なくなるに違いない」
そしてその日の夜、母親はいつものように娘と二人で夕御飯を食べました。母親は娘に、新しいお料理だと嘘をついて、うんと強いお酒を飲ませました。娘はぐるぐると酔っぱらってしまい、顔を真っ赤にして、ばったりと倒れてしまいました。しかし、翌朝目をさました娘の咽は焼けてはおらず、その歌声は美しいままでした。母親はがっかりして、残ったお酒をぐびぐびと飲みました。そしてすっかり酔っぱらって、泣いたりわめいたりしながら三日三晩をすごしました。
そしてついに、母親はこう思いました。
「あの子の声をなくせないなら、いっそ、あの子を殺してしまおう」
そして母親は、屋根裏部屋へ行きました。屋根裏部屋は小さな入口のほかは小さな窓がひとつあるだけで、何かを隠しておくのにはちょうどいい場所でした。母親は屋根裏部屋に娘の寝台を用意して、言いました。
「ここに、死んだあの子を隠しておいて、入口に鍵を掛けてしまおう。そして、あの子はどこか遠くへ行った事にしよう」
それから母親は、娘に見つからないようにそっと家を抜け出すと、この世の果てにある黒い洞窟に行きました。黒い洞窟の中には、黒い布で顔を隠し、黒い服で身体を隠した、黒い占い師がいました。母親は黒い占い師に、娘を殺すための毒をくれるようにと頼みました。黒い占い師は、言いました。
「あんたが来る事はわかっていたよ。私は占い師だからね、何でもお見通しさ」
そして、黒いビンを取り出して母親に差し出しました。
「このビンには、あんたの心よりも冷たい毒が入っている。ビンからこぼれた毒薬は、触れたものを一瞬のうちに氷よりも冷たくする。娘に一口飲ませれば、薬はすぐに娘の心臓に届いて心臓を凍らせてしまうよ。どうだい、気に入ったかい?」
母親は満足そうに薬のビンを受け取り、急いで帰って行きました。
その夜、母親はいつものように娘と二人で夕食を食べました。食事が終わると、母親は娘に言いました。
「すまないけど、今日はおまえは屋根裏部屋で寝ておくれ。おまえの部屋は今日は方角が悪いからね」
娘は、わかったわ、と返事をして、屋根裏部屋へ行きました。
やがて真夜中になり、何もかもが寝静まると、母親は小さな蝋燭の灯をたずさえて屋根裏部屋にやってきました。母親の美しい顔は、ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯のせいで、とても恐ろしく見えました。娘はぐっすりと眠っていました。
母親は蝋燭を娘の寝台のそばのテーブルに置くと、懐から薬のビンを取り出しました。そしてそっとビンの蓋をあけました。ビンの中からはひんやりと冷たい匂いがしました。母親は、ぐっすり眠って夢を見ている娘の口に薬をたらそうとして、ビンをそろそろと娘に近づけました。
ところがちょうどそのとき、娘がふいに
「おかあさん、待ってちょうだい」
と、小さく寝言を言いました。母親は心臓が止まりそうになるほど驚いて薬のビンを落としてしまいました。薬は娘の服の上にこぼれました。母親はビンを探そうと、蝋燭に手を伸ばしました。しかしそのひょうしに、手が蝋燭にぶつかりました。蝋燭は床に落ち、小さな炎はすぐに乾いた床に燃え移りました。そしてみるみるうちに炎は大きくなって、屋根裏部屋をめらめらと包み込んでしまいました。母親は恐ろしくなって悲鳴をあげました。その悲鳴で目をさました娘は、大きな声で叫びました。
「助けて、助けて! 家が燃えているわ! おかあさんと私をここから出して!」
これを聞いた人々は、その声があの娘のものだとすぐにわかりました。そして娘の家に駆けつけました。娘は屋根裏部屋の小さな窓から外に向かって、
「助けて、助けて!」
と叫んでいました。屋根裏部屋の小さな入口はすっかり炎につつまれていて、外に出るにはもう窓から飛び降りるしかありませんでした。皆は娘に言いました。
「私たちが受けとめてあげるから、はやくそこから飛び降りて!」
娘はその通りにしようと、窓から身を乗り出しました。ところがそのとき、母親が娘に言いました。
「娘や、おまえが先に飛び降りてしまったら、私はこわくてとても一人でここから飛び降りる事ができないよ。お願いだから私を先に行かせておくれ」
娘はすぐに窓からおりて、母親を先に行かせようとしました。炎は二人のすぐ後ろまでせまっていました。母親は急いで窓から身を乗り出しました。そして恐ろしい事に、すぐ後ろにいた娘の胸を、どん、と足で蹴りました。娘はよろよろとよろけて、炎の中に倒れ込んでしまいました。母親はそれを見てから、家の外に飛び降りました。皆は飛び降りてきた母親をしっかりと受けとめました。
皆は次に飛び降りてくるはずの娘を待ちました。ところが娘は姿を見せませんでした。心配になった皆は家の中に駆け込んで、屋根裏部屋の前まで来ました。すると、屋根裏部屋の扉は炎に焼かれ、崩れ落ちていました。そしてその向こうには、娘が気を失って倒れていました。
皆は急いで娘を助け出しました。娘の服は、母親がこぼした毒薬のせいで氷のように冷たくなっていました。そのおかげで、恐ろしい火事の炎でさえも娘を呑み込む事ができなかったのです。助け出されて、目をさました娘は、世界一美しい声で皆におれいを言いました。皆は娘が助かった事を心から喜び、歓喜の声をあげました。
しかし、それを見た母親はついに絶望し、地響きのような声で叫びながら、火事の炎に向かって駆け出しました。母親は炎に飛び込むつもりでした。皆は驚いて母親をとめようとしましたが、母親は皆を渾身の力で振り払いました。すると、娘が叫びました。
「おかあさん、生きていて! お願いだから、私のために生きていてちょうだい」
母親は足を止めました。娘はまた言いました。
「おかあさん、お願い、生きていてちょうだい」
娘の美しい声は、このときはじめて、母親の心をゆさぶりました。娘はもう一度、言いました。
「おかあさん、死なないで」
そして娘は母親の身体をぎゅっと抱きしめました。母親の目からは、大きな涙がこぼれ落ちました。母親は、娘に言いました。
「おまえを、殺してしまわなくて、本当によかった」
それを聞いた娘も涙をこぼし、見ていた人々は大泣きしはじめました。火事の炎も泣き出して、自分の涙で自分を消してしまいました。空の月も泣きながら沈み、やがて太陽が静かな顔をして昇って行きました。
母親と娘はきっと、今でもどこかで仲良く暮していることでしょう。めでたし、めでたし。
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