印刷用のを和綴にしてみました。
製本自体は難しいことはないのですが、わたくし何故か力がないので目打ちで穴をあけるのがとても大変で、針を通すのも大変で(ペンチで針を引っこ抜いた)、苦労いたしました。静かに作業したかったもので目打ちを木づちで叩くとかをせずに手でぐいぐいやっていたのでして。それはともかくとしても、不器用ゆえに「キッチリ」いかないのです、角とか、穴の方向とか。化粧裁ちははなから無理なのでしませんでした。化粧じゃなく汚し裁ちになってしまふ・・カッター嫌いー。
実はうまくできるようなら印刷して綴じたやつをネット販売しようか、とか思っていたのだけど、断念。無理。
参考にしようと図書館で借りたのはこの三冊。
はじめての和装本―身近な道具で作れます
手で作る本
手製本を楽しむ
本当は「ワープロで私家版づくり―編集・印刷から製本まで」も見たかったのだけれど図書館にありませんでした。
「はじめての和装本―身近な道具で作れます」は四つ目綴じのしかたが丁寧にのっていて、他にはでっちょう本・折り本などの作り方があります。仕組みがわかりやすくて特別な道具がいらないので、作文や絵葉書など「手元にあるものをまとめたい」ときには向いてると思います。四つ目綴じなどは、紙の片面にだけ本文があるものを折って袋とじにしますが、これってきっと木版で本を作っていたときの名残だと思うので・・両面印刷ができる今なら、折り山を背にして製本してもいいと思います。(でもそれにはそれなりのページの順番の版下が必要だったり・・)
「手製本を楽しむ」は、かなり本格的な製本の解説書ではないかと思えます(和本じゃありません)。ページのかがりかたはもちろん、ハードカバーの角背・丸背・布装・革装・ケース作りのしかたが書かれてあります。
この本で思いがけなかったことは、本の中身はすでに存在するものであるということでした。本をばらして修理をして、ページを丁寧に糸でかがって、布や革で表紙をつけて、古くなった本をよみがえらせたり大好きな本を丈夫なものに作り直したり、という目的の内容でした。
私自身は本の内容には関心があっても「本という物体」の工芸的な美しさなどには気付いたためしがなかったもので、製本という工芸が存在することが意外でした。そしてこの本は、著者の本に対するあふれんばかりの愛情が感じられます。
「手で作る本」は、わりと簡単にできる製本方法がいくつか紹介されていて、あとは自分の工夫次第でオリジナルなものができそうだなと思える本です。中折り、和本、ハードカバー(角背)、コプティック製本、リボンリンプ製本、等。製本全般に共通するきれいに仕上げるコツとか、布の裏打ちの仕方など基本的なことも書かれてありますし、材料が入手できる店舗の情報もついています。
本格的でなくてもいいから自由に製本をしてみたい、というときには手元にあると便利な本だと思います。
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今回、無料配布のために印刷用を用意したので、はじめて自分でも自分の作品を全部プリントアウトしました。
紙に印刷された状態を見るのと、モニタに表示されている文字を見るのとは、きっと心理状態がだいぶ違っているんでしょうね。
何度も見直して直したつもりだったのに、紙に印刷されたものを見るとまだまだヘンなところが残っている。物体として存在している「紙」に、もう消すことができない「印刷」として書かれてある自分の文章が、もっと何とかしてちょうだいと自分に訴えているような気がしてくる。もっと言葉を選ばなければ、要らないことを書かないようにしなければ。すべてが透明でなければ。
もちょっと真剣にならなければと思う。緊張感とかが必要なのだ、きっと。
正直言うとはじめは印刷のことはまるで頭になくて、電子書籍って紙が無駄にならなくていいなぁなんて思っていたくらい。
でもそう、自分自身の事を考えてみても、お話は全部、物体としての「本」に書かれてあった。本の、活字のひとつひとつ、ペン画の白黒の美しい挿し絵、時々挟まれていたツルツルの紙のカラーの挿し絵(これが妙にリアルな絵で、どうしてもお話とイメージが重ならずに変な気分になったものだった)、本が古くなってきて補強の布が少し見えてきていたこと、棚に並んでいるときの背。
そんな事全部が私の中に捨てがたい思い出として残っている。お話の事を思い出すときにはそれの一部になっている。
現実に存在する物体としての「本」を、誰かが、もしかしたらどこかの子どもが昔の私のような気持ちで接してくれることがあるかもしれない。そんな可能性があるなら、印刷や製本を大前提に考えてPDFを用意するのもいいな、と。
本当はね、自分のためだけに、ハードカバーに仕立ててみたいなとか思ったり。(笑
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